…漆 いろいろ その三…

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(みればわかる。)

・展示会で、人が来ないのが一番つらいことです。
特に、漆の展示会を青森県意外ですると、まるで反応が鈍いのです。それでも何人かは、興味を持ってみてくれる人も少数ですけどおります。  買い物の途中とか、用事のついでに見てくれる人もおります。
その時も会議まで少し時間があると言って見に来た人がおりました。はじめは、あまり興味がなさそうに見ていました。時間が、本当になかったのでしょう。時計を見ながらひとまわりして、私の手を取り「いいものを見せてもらった。いいものは、みればわかる。」と強引に、握手をして帰っていきました。
 望月さんと話をしていたとき、「使ってもらって初めてわかるモノをつくらなければいけない。漆の仕事は、見た目でわかるものではない。」と言ったのを思い出しました。みればわかるようなモノは、つくっていないつもりなんですけど・・・


(スムニダ)

・一人で仕事をしていると、よく独り言を言っていることがあります。それも、言葉遊びのようなことをして頭の中で、遊んでいるのです。
 韓国語で”スムニダ”というのがありますが、私には、”スミダ”と聞こえていました。それで自分では、”スミダ”遊びというのを一人でしていました。頭の中で、二人の自分が言い合うのです。たとえば一人が、「イカのすみだ」と言えば、もう一人が「習字のすみだ」すると「バスのすみだ」「風呂のすみだ」「机のすみだ」「箱のすみだ」・・・・もういくらでもでてくるのです。
 それで思い出したのが、”重箱の隅を突っつく”ということなのです。箱ものの命は、隅だ。下地をつける時のへらの角度をきちんとするとか、下地を研ぐときの砥石の角の調整などを、正確にしなければ仕上がりがきれいにいかないのです。箱の四隅が、きれいに仕上がっているものは、なかなかお目にかかることがないのです。
 それで、問屋さんと言いますか、使い手と言いますか、そんな人が、ここの隅が、まずいといって、買いたたくことがあったそうなのです。どうもそれから出た言葉みたいです。


(日本産漆) 

・よく、日本産の漆は、生産量が少なく大変貴重な材料で、なかなか手に入らないという話がちまたに流布されているみたいです。その情報は、少し違うように思います。  確かに、生産量は、少ないのですが、使用している量は、もっと少ないのが実情です。それは、中国産漆との値段の違いが、一番大きいと思います。私は、それにもまして日本産漆の扱いが、できる人があまりにも少ないのでは、と思っています。採取した漆を、自分でクロメている人がどれだけいますか?ほとんどいないと思います。津軽塗の仕事をし始めた頃は、よくみんな自分でクロメていました。中国産の漆ですけど、クロメを自分ですると、三〜四割ほど材料費が、安くなり質もよい漆に仕上がることができるのです。生漆の段階で、クロメに向くか、下地漆にするか判断できるからです。
 日本産の漆でも同じように、クロメに向く漆とあまり向かない漆があるのです。採取する時期とか、とれた場所、採る人によっても違うみたいです。その判断が、できるかどうか、ともかく経験なんです。その経験がないから、日本産の漆を使い切れないのでは、ないでしょうか。きっと使ってみたいと思っている人は、いると思いますが、自分でやってみるしかないのです。
 と言うわけで、毎年のように日本産の漆を買ってくれと、二回も三回も電話をもらいます。私にも限度があります。在庫が、六貫以上ありそれを半分ぐらいにしなければ、次のに手がでないのです。日本産の漆は、たくさんあります。業者の人は、困っているのです。漆の仕事をしている人みんなが一年に、一貫ずつ買えば、足りなくなると思いますが、今は、余っているのです。これが、日本産漆の現状です。


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(日本産漆U) 

・2018年になってしまいました。ここ二、三年で日本産の漆の状況がだいぶ変わってきているみたいです。 重要文化財の修理は原則、日本産の漆を使うことに文化庁が決めたそうです。 そうなると、民間で使える漆が大変少なくなってしまいます。 業者の人は喜んでいるかもしれませんが、そうなると一般の使い手が日本産の漆で仕上げたモノを 手に入れることができなくなるかもしれません。値段がべらぼうに高くなることが予想されます。 私の仕事では、どうしても日本産の漆が必要です。これからどうなるか心配しています。


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(伝統と伝承)

・城倉さんが、よく「伝統はいつも新しくなくてはいけない。」といっていました。
伝統を受け継ぐとよく言いますよね。若い頃は、伝統を守るとか、技術の保存とか、そんなことは、他の人がやればいいと思っていました。実際、業界全体でやることだと思っていましたが、それがここに来て、変な具合になってきたのです。つまり、津軽塗に関して、材料とか、道具、技術とかが、かなり怪しい状態になっているみたいなのです。伝統でなく、伝承が、記録として残っていなかったのです。津軽塗が、発展したのは、大清水砥という砥石が有ったからと言うことになっていますが、その場所がよく解らないというのです。三十年くらい前見学して、レポートを出したのに行方不明とのこと。
 今、私の所に五万分の一の地図と二万五千分の一のその時の地図があるだけで、私も三十年以上行ってないから行き着けるかどうか、今年は、挑戦してみるつもりです。
 伝承は、しっかり伝え、その上に立ち、今使えるモノをつくると言うことが、城倉さんの言っていた伝統では、ないかとこの頃思うようになりました。


(使ってもらうと言うこと。)

・漆のモノは、みんなが使ってくれたらよいとは思っていません。実際私も自分で仕事をしてみて、初めてわかったのですが、モノづくりというのは、かなり怪し世界なのです。
 まだ、津軽塗のように、きちんとマニュアルがあった方がいいように思います。自己流で仕事をしてこれが私のオリジナルだと、勘違いしている人がいるのです。モノづくり、特に漆の世界では、ほとんどオリジナルなんて考えられません。又、漆の仕事をしている人は、特殊な人だと思っている人も多いのです。
 展示会で、お客さんと話をしているとき、「工藤さんは、仕事をしているとき、作務衣を着ているのですか?」と何回か言われました。「夏は、Tシャツ、冬は、スェットです。漆の仕事は、スポーツです。」といつも答えています。すると”えっ”というような顔をされたことが、なんと多いことか。  作務衣を着て、ひげを伸ばして、髪を後ろで結わえているのが、何か本当の仕事をしている人みたいな言い方を、されたこともありました。
 私は、もともとひげは薄く、Johnny damonみたいなのが、憧れなんですがあのくらいなら伸ばしてもいいんですけどね。髪を長くすると、のぼせ状態になり、気分が悪くなります。もともと、バスケットボールの選手だったので、Tシャツ、スェットは、大好きで普段もそんな格好です。  でもあまり正直すぎると、かえって怪しまれることもあります。かえってそんな怪しさの方が、"本当ぽっい"気がします。と言うように、漆のモノは、インターネットで情報としてながすにはよいのですが、売買するのには、不向きなモノだと思います。犬をインターネットで買うと言うことと同じ事だと思います。そんなことはしてはいけないことなのです。しっかりじぶんの目で確かめて、さわってみて、作り手の話に納得して、初めて自分のモノになると言うのが一番だと思います。作り手から使い手へ、それが一番簡単で、安全な方法なのです。こんな事をしているから、使い手が増えないのだろうか?


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(三十匁と三寸八分)

・秋岡芳夫さんに、あの声で語りかけられれば、つい信じてしまうことがたくさんありました。
手ごろ感という、事で話をしていたとき、「お椀の重さは、三十匁が、一番手になじむし、夫婦椀は、四寸と、三寸八分の大きさが、本当なのです。」と言ったことがあります。
 仕上がりが、三十匁のお椀は、かなり重いと思います。それってご飯茶碗の話では?でも漆関係者の会合での話だから、間違いないのかな?私のお椀は、二十匁ぐらいです。具を入れても三十匁には、なりません。夫婦椀も、四寸と三寸八分で仕上げたことがあり、展示してお客さんに「何で、女物が小さくなくてはいけないの。」と言われたことが、何回もありました。女の人の方が、手が小さいからだと説明してもほとんど納得してもらえませんでした。
 やはり、秋岡さんみたいなソフトな語り口でなければ、説得力は、ないのでしょうか?
秋岡さん、すみません。私のお椀は、二十匁で夫婦のお椀も二個とも四寸です。 お椀の話をしてくれたときは、まだお椀を作る前だったので、今なら質問できるのですけど・・・


(あなたは、何もわからない。 )

・ある展示会で、熱心に見てくれていた人がはなしかけてきました。いろいろなことを質問され、わかっている範囲でお答えしました。そして手入れの話になったのです。これが、私にとっては、非常に怖いことなのです。
 その時も「一番最後には、紅絹の布で拭くのですよね。」いわれました。思わず「きた、きた。」とつぶやいてしまいました。「使い古しの木綿が一番です。紅絹の布は細かい傷が、付いてしまうそうです。」と答えました。そうしたら「あなたは、何もわからない。私は、もう何年もお茶をして、先生に漆のモノは、紅絹の布で手入れをしなさいと言われています。」と言って怒ってかえっていきました。
 こういうときは、どのように対処したらいいのでしょうか?作り手の私は、紅絹の布で手入れをするとか、作り手でそんな事をしているという話は、聞いたことがないのですが・・・
 試験場かどこかの大学での試験結果で、絹の布は、細かい傷が付くという報告を聞いたことがあります。


(何をつくるか。 )

・漆の仕事をしている人が、つい勘違いしてしまうことがあります。それは、”何に塗るか?”と思ってしまうことです。世間の人の中にも、それは、おもしろいという人もおります。たとえば、ヘルメットに塗るとか、スノウボードに塗るとか、パラボラアンテナに塗ると言うことなどです。楽器に塗るというのも同じようなものだと思います。おもしろいからとか、付加価値をつけるためとかと言って話す人もおります。
 そのような仕事を全面的に否定するつもりは、ありませんが、それってちょっと変だと思います。私自身には、決してやれません。
 津軽塗をしていたときは、周りが、ほとんど”何に塗るか?”というような状態でしたので、変だとは、思いましたが”それもあり”かなというような気持ちでした。  今にして思うと、城倉さんは、”何に塗るか?”という話を一度もしたことが、なっかたのです。常に”何をつくるか?”という話だけなのでした。何をどういう風につくるかと、いつもそのことの気をつけていたのだと思います。それでなければ、あんなにたくさんのものが、できるわけがないとこの頃は、思われてなりません。
 私も”何をつくるか?”と思うようになってから、つくってみたいモノがぽつりぽつりと思い浮かぶようになりました。これからも”何をつくるか?”派で行きたいと思います。


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(お父さんはずるい。)

・息子が、小学生の頃、ファミコンが大流行でした。自分のお年玉で買って三時間でも四時間でもモニターとにらっめこの日々でした。宿題もろくにやらないで。そんなことをしていたので、「ファミコン止めて、宿題くらいしなさい。」というと、「お父さんは、ずるい。いつも、漆ばかりして。」と言われてしまいました。
 これって、漆で遊んでいると思っていたのでしょうか?もしそうなら、本望です。私は、漆で遊んでいます。息子よ。ごめん。


(産地の強み。)

・弘前の得意とするのは、指物(重箱、テーブル、お盆、箱ものなど)なのです。よく漆器の産地の仕事は、分業が多いと言われております。それは、仕事を効率的に進めるための産地の知恵だと思います。何でも一人で仕上げたという人もおりますが、それが、値段も適正で、きちんとしたモノなら問題ないのですが、なかなかそんなモノは、お目にかかれないでしょう。
 弘前の分業の形態は、”木地師””塗師””上塗り師”という風に分かれていました。これが、私は理想的な状態だと、今でも思っております。何か、浮世絵の分業形態に、似ているようにも思います。 やはり長い時間をかけて、先輩達が、確立させてくれたシステムがあるというのが、産地の強みだと思います。勿論技術とか、道具、仕事のマニュアル、材料など様々なモノが、混じり合い産地が形成されたのだと思います。今、それが何か非常に大切なことのように思えてなりません。
 私自身、形作りから、上塗りの仕上げまですることは、ありますが、重箱、三十組の木地をつくれと言われると、できるわけがありません。
 こんな、産地の強みを自覚して仕事をしていかなくては、思っております。


  (もらい上手 )

・展示会を初めて開いたとき、「お花代」とか「ご祝儀」と言われて、お祝いをもってきてくれる人が、たくさんいました。初めのうちは、素直に受け取れませんでした。何か自分で構えていると言いますか、まあそんな感じでした。
 ある人に「くれるものは、素直にもらっておきなさい。」と言われ、急に肩から力が抜けるような気持ちになりました。「もらい上手は、上げ上手になるから今は、もらっておきなさい。」と言われたときには、じーんとしてしまいました。  使い手で、五万円ですと言えば、六万円くれる人もいます。今は、それも素直にもらっております。  いつかあげ上手になれればいいのですけれど・・・


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ようこそ、漆のホントのおはなしへ!