…産工試の話…
仙台に産業工芸試験場東北支所(産工試)という施設がまえにあってという話は聞いたことがありますが、それがどんな施設であったかというのは、ほとんど知りませんでした。望月さんの話によれば、各県の工業試験場に採用された人の研修をしていたみたいでした。昭和15年までは、仙台が本所であったみたいですが、その後、西巣鴨に本所が移り、東北支所となったみたいです。それも空襲で焼けてしまい、今は公園になっているみたいです。望月さんは、東京の下丸子にある本所で研修を受けたという話です。
話は三十年以上前になりますが、仙台の阿部郁二さんが組合の工場へやってきて、勝三さんと話をしていました。その時、勝三さんが私を紹介してくれました。阿部さんが「若い人がいるというのはいいなー、僕は若い時、ブルーノ・タウトと仕事したことがあるんだ。」といったので、心の中で「この人何を言っているんだ?」ブルーノ・タウトといえば「日本美の再発見」のあのひとのこと、嘘でしょう。 このおじさんが!!
阿部さんはその頃、日本漆工協会の役員をしていていろいろな産地を回っていました。特に弘前には、よく来ていました。城倉さんや望月さんは、学校の先輩後輩にあたり、勝三さんとは漆工協会の役員でよく知っていたからだと思います。今思えば、ブルーノ・タウトと仕事をしたことがあるというのもまんざら嘘でないようにも思いますが、あのときは、信じられない思いでした。
それが、ネットで調べていたら仙台デザイン史博物館というサイトにぶつかりその中にブルーノ・タウトといしょに写っている阿部さんを発見してしまいました。という訳で阿部さんの話は本当だったのでした。30数年疑ってすみませんでした。それに驚いたことに、あのシャルロット・ベニアンまで来ていたことを知り二度びっくりでした。 そのサイトを見て、その時代のうねりみたいなものを感じてしまいました。その波がどこに行ってしまったのかと思うと寂しい気持になってしまいます。