…謎が解けた。…

津軽塗技術保存会の謎が解けました。最初にその名前を聞いたのは、望月さんが保存会の人と砥石山へ行ったけど現場にたどり着けなかったという話が最初でした。そんな会があるなんてその時は知りませんでした。その後、岩谷さんにあって話を聞いてみると何と会長が岩谷さんで輪島へ行ったとき輪島の地の粉を採掘していたところに「輪島塗技術保存会」が記念碑を建ててあったそうなのです。それで津軽塗もそんなふうにしたいと思って何かそんなものがないかと考えたら”砥石がある。”と言うことになったそうなのです。それで前に行ったことのある佐々木さんを案内人としていったみたいなのです。ちなみに佐々木さんは私といしょに砥石山へ行っています。
ここからが誤解のはじまりでした。岩谷さんも望月さんもそのうち連絡がいくといっていたのになかなか連絡がないもので、もう砥石山のことは、あきらめたのかと思っていました。
先日、望月さんと話をしていたときの保存会の話になり、そもそも何でできた会なのかを聞いたら、弘前市博物館にある津軽家が保存していた”手板”の復元をするために、教育委員会や学者の人と塗をしている人が集まって作った会なのだそうです。その会合の席で岩谷さん達、輪島へ行ってきた人が記念碑の話になってそれじゃー”砥石山”へ行ってみようと言うことになったのが、本当のところでした。今も私は砥石を使って仕事をいます。業界か、行政がきちんと記録に残し、いつでも掘り出せるように保存することが大事だと思うのですが?私は、砥石山は、津軽塗の宝だと思っています。