…砥石山紀行…
砥石山は、青森市の東方、東岳の北側にあります。もともとは刀を研ぐ砥石として、
江戸時代から弘前藩が管理していたということです。私たちが三十年前に行ったときは、
滝沢という集落の人が、営林局の委託で管理していました。
なぜ砥石山の見学へ行ったかといいますと、 津軽塗で使っていろ道具や材料を少し勉強してみたいと思ったのがそもそもの始まりでした。 よく津軽塗が残ったのは、大清水砥があったからだといわれていましたが、 その現場を津軽塗をしている人がよく分かっていなかたのでした。 昭和三十年頃一度採掘をして、その時の砥石を私たちが使っていました。 その時の責任者の川崎さんはもう亡くなっていました。 三上勝三さんも採掘しているときに何度か行ったと言っていまして、 その時の滝沢村の代表者を覚えておりました。その人に連絡して連れて行ってもらいました。
その時は、途中までマイクロバスで行き歩いて二時間ぐらいでついた記憶があります。 林道も歩きやすく三人ぐらい横になっても歩ける状態でした。 今回は、沢の入り口に採石工場のプラントができていて、 二又の沢からの道は至る所で分断されて採掘現場へ行く道が解らない状態でした。 それでも現場へ着いてみると山菜の「ミズ」(うわばみそう)を採りに来ている人が いるみたいで採られたあとがありました。 そこが大清水砥の採掘現場だと言うことは知らないと思いますが。
砥石の採掘は、昭和三十年頃と「伝産法」の指定を受けた昭和五十年頃にも採掘しました。 私たちが行ったのは、その下見の意味もあったのでした。 その五十年頃採掘した砥石は、ひどい砥石で、 水につけると溶けてしまうというものでした。 あとから聞いた話ですが、採掘の責任者の人が砥石を使ったことがない人だったみたいで、 とんでもない仕事をしたものだとあきれてしまいました。 その上私たちは、五十kgのものを二つずつ買わされてしまいました。 よその産地の人も買った人がいたみたいで、その人達はあれが大清水砥だと思っているのでしょうか?
今回のことは、望月さんが「技術保存会」の人達といってみたが 行き着けなかったというのが始まりでそのうち連絡が行くかも知れないと言われたもので、 一回は、行き着けるかどうか確かめてみるのが目的でした。そもそも「技術保存会」がどんな組織で、 なぜ今砥石山へ行きたいのかいまだに良く理由がわからないでおります。